- 機関誌 日政連
NISSEIREN
日本行政書士政治連盟
会長 畑 光
日本行政書士政治連盟が結成されて30年を迎えることになった。
初代佐藤義哉会長の卓越した指導力で、全国の単位会長全員の賛成を得て、日本行政書士会連合会の別組織として政治資金規正法による任意加入の団体を立ち上げることが発端だった。月額50円の会費で出来るだけ多くの加入を期待して組織したのである。
私は初代の会計責任者としてその組織の一端を担うこととなった。その後通算12年間幹事長としてお手伝いし、第1条に目的規定を加入したり、地方試験を国家試験に移行することに成功したり、財団法人行政書士試験研究センターの設立に関与し、試験科目を総務大臣の告示とし、具体的な法律名を指定して法律家らしい試験科目の列挙に成功したり、知的財産権の業務への参入について弁理士法改正と連動して、代理権獲得に成功したり、行政手続法における聴聞・弁明の代理権や、A.D.R(裁判外紛争解決) への参入に成功(代理権の獲得については宿題が残ったが) など、多くの難問を解決してきた。
法務省所管の「入管法」の申請手続の取次制度などは、法律改正ではなかったが、業務拡大のための大きな前進であった。
一方では、各政党での議員連盟の結成を進めることであった。自民党では、初代砂田重民先生、二代唐沢俊二郎先生、三代村上正邦先生、四代野中廣務先生、五代中馬弘毅先生、六代野田 毅先生、と六代にわたる議連の会長と、自民党本部政調会の神戸達臣氏、同政調会の田中耕一氏の変わらぬ支援を受けることとなった。
民主党は、初代は鳩山邦夫先生だったが、民主党を離党されたため、二代赤松広隆先生にお願いしたが、赤松広隆先生が農林水産大臣に就任されたので、三代の松本 龍先生に交代したが、鳩山内閣から菅内閣への移行にともない赤松広隆先生が退任され、松本 龍先生が環境大臣に就任されたので、再び四代赤松広隆先生が会長に就任された。
公明党は、初代太田昭宏先生が、公明党代表に就任されたので二代目に東 順治副代表が就任された。政権交代にともなって、公明党議員懇話会長は三代目石田祝稔先生に交代して今日に至っている。 一方、与党になった国民新党も行政書士制度推進議員連盟を結成することになり、亀井静香代表が金融担当大臣のため議員連盟の代表は置かず、自見庄三郎先生が幹事長、下地幹郎先生を事務局長として発足したが、亀井静香代表と自見庄三郎幹事長が大臣を交代されたので、亀井静香代表が議員連盟代表、下地幹郎幹事長が議連幹事長に就任され、行政書士法改正等で協力をしてもらうことになった。
社民党については、現在のところ議員連盟結成には至ってないが、前回の改正には又市征治副党首が窓口になって議員立法賛成の立場に立っていただいたし、元来、村山富市首相が行政書士政治連盟とのパイプ役になっていただいた経緯もあり、又、土井たか子党首も良き理解者であったので、社民党との正式なパイプ作りも必要だろう。
我々は行政書士制度の充実のために、開かれた、国民の利便性に寄与出来ることを念願して、今後の発展に望みを託したいものである。